
※本記事は、東京しごとセンター(女性しごと応援テラス)の再就職支援プログラムの職場体験に参加された方が書いた原稿をもとに、当社にて構成・表現を整えて掲載しています。
正直に言うと、
七草がゆは「ちゃんと食べた記憶がない行事」でした。
名前は知っているし、スーパーに七草セットが並ぶのも見ている。
でも、なんとなく忙しくて、気づいたら1月7日が過ぎている。
そんな年が、これまで何度もありました。
今年はたまたま、朝の時間に少し余裕があり、七草セットを見て「今日は七草がゆの日だったな」と思い出しました。それだけの理由で、七草がゆを作ることにしました。
七草がゆは、見た目も味もとても地味でした。
華やかさはないし、お正月のごちそうと比べると、少し物足りない。
でも、ひと口食べてみると、
胃が「あ、これでいい」と言っているような気がしました。
年末年始、食べすぎた自覚はあったけれど、改めて体が疲れていたことに気づいた瞬間でもありました。
七草がゆは、何かを祝う行事というより、区切りをつけるための習慣なのかもしれません。
お正月が終わって、また日常が始まる前に、一度立ち止まる。
「今年も頑張ろう」と気合を入れる前に、
「まずは整えよう」と思える時間。
七草がゆを食べたことで、ようやく年が切り替わった気がしました。
七草が全部そろっていなくてもいいし、毎年必ず食べなくてもいい。
実際、これまで食べていなかった年の方が多いです。
でも、思い出した年に、余裕のある日に、体にやさしいものを食べる。
それくらいの距離感だから、七草がゆは続いてきたのかもしれません。
七草がゆを食べたからといって、何かが劇的に変わったわけではありません。
でもその日はいつもよりコーヒーを控えたり、昼ごはんを軽めにしたり。
自然と「今日は無理しなくていい日」にできました。
たった一食で、一日の過ごし方が少し変わる。
それって、意外と大きなことだと思います。
行事は完璧にやるものではなくて、思い出せたら十分なのだと思います。
「今日は七草がゆの日だったな」
そう思えたこと自体が、もう行事に参加しているようなもの。
来年も余裕があったら食べよう。なかったら、また忘れてもいい。
そんなゆるさが、七草がゆには似合います。
七草がゆは、一年を始めるための“準備運動”のような存在でした。
私たち株式会社ユー・エス・エスは、
文京区のデザイン制作会社として、
言葉やデザインを通して、
こうした小さな実感を形にする仕事をしています。
派手ではないけれど、あとからじわっと思い出す。
七草がゆのような表現を、これからも大切にしていきたいと思います。