
2024年の夏、「令和の米騒動」と呼ばれるほど、スーパーの店頭からお米が消えました。
猛暑と不作が重なり、2025年に入っても価格は高止まり。
そんな中、輸入米の棚に並んだのが——カリフォルニア産コシヒカリです。
「外国産のお米なんて」「やっぱり国産が安心」
そんな声が多い中、実はこのカリフォルニア米には日本人の努力の物語が隠れていました。
今回のブログは、職場体験で来てくれた方が書いた原稿をもとに、USSスタッフが再構成しました。「お米」という身近なテーマから、100年前に海を渡った日本人の努力をたどります。
時は1920年(大正初期)。
カリフォルニアの地で、たった一人の日本人が日本米に近いお米を作り出しました。
その人の名は——国府田敬三郎(こうだけいざぶろう)さん。
25歳で校長先生を務めていたという聡明な人物で、アメリカへ渡ってからは稲作の研究に情熱を注ぎ、20年近い歳月をかけて「日本と同じようにおいしいお米」を育て上げます。
やがて完成したのが、「国宝ローズ」という品種。
日本米に匹敵する品質で、アメリカの食文化を変えたとまで言われています。
現地では“ライス・キング(米の王様)”と呼ばれるほどの存在でした。
国府田さんが生きたのは、移民に対する差別が色濃く残る時代。
日系人たちは過酷な環境の中で畑を耕し、太平洋戦争中には強制収容所に送られた人も少なくありません。
それでも彼らは諦めず、働き続けました。
戦後は農地を没収されるという苦難にも直面しますが、国府田さんはアメリカ政府を相手に裁判を起こし、少しずつ農場を再建。
やがて全米一の稲作事業へと成長させました。
まさに“アメリカンドリーム”を体現した日本人。
彼らの努力があったからこそ、今のカリフォルニア米があります。
お米の話をすると、海外生活を経験した人の多くがこう言います。
「現地のお米がまずくてつらかった」と。
私も留学中に同じ思いをしました。
ふとスーパーで見つけたカリフォルニア産コシヒカリを口にしたとき、そのおいしさに涙が出るほど感動したそうです。
「これだ、日本の味だ」と。
それは単なる味の再現ではなく、“故郷の記憶”を取り戻す一粒だったのかもしれません。
日本で行われたテレビ番組の街頭インタビューでは、カリフォルニア産コシヒカリと魚沼産コシヒカリを食べ比べても、多くの人が「カリフォルニア産の方が美味しい」と答えたそうです。
それでも「国産を買う」と答えた人がほとんどでした。
理由は「国産の方が安心だから」「日本人が作っているから」。
けれど、そのカリフォルニア米を作ったのも、まぎれもなく日本人の血を引く日系人たちです。
異国の地で汗を流し、祖国の味を守った人たちの存在を、少しでも思い出したいものです。
国府田さんの功績は、ただ“おいしいお米”を作っただけではありません。
異文化の中でも努力を重ね、技術と誠実さで信頼を築いたこと。
それは日本の「ものづくり精神」と通じるものがあります。
私たちUSSも、デザイン・印刷・編集など、日々の仕事の中でお客様の“伝えたい想い”を形にしています。
100年前の先人たちのように、誠実に、丁寧に、文化をつなぐ存在でありたい——この物語は、そんな想いを改めて教えてくれます。
Q. カリフォルニア米は日本のお米とどう違うの?
A. 品種や気候の違いで粒の大きさや香りが少し異なりますが、国府田敬三郎さんが確立した「国宝ローズ」以降、日本米とほとんど変わらない品質を保っています。
Q. 日系人の歴史を知るおすすめの資料は?
A. 在米日本人会や「全米日系博物館(Japanese American National Museum)」のサイトでは、戦前から現代までの日系人の歩みが詳しく紹介されています。
100年前、異国の地で「日本の味」を守り抜いた人がいました。
その一粒の努力を、私たちも受け継いでいきたいですね。
株式会社ユー・エス・エス(USS)
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